外注コーディネーター

新しい職のヒントを見つけました。

同じ「コーディネーター」という職でも、マネジメントは非常に難しく、情報を収集するのも一苦労だろうが、自分の身となり子供達の肉となり返って来る仕事でやりがいもあるだろう・・・。これなら家族にとっても喜ばれるだろうし「にわか主婦」の私の経験も多少なりとも活かされるだろうし・・・。

岩村暢子さんの興味深い題名の作品。*「変わる家族 変わる食卓」*「親の顔が見てみたい!」調査―家族を変えた昭和の生活史

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4326652780/studymirai-22Link

「変わる家族、変わる食卓」については、下記4つのことを主に語っておられている。1:浮かび上がった「60年生まれ」の断層、2:重みを増す企業の責任、3:「食卓」は戦後日本の縮図、4:「真実」を知ることの難しさ

それは、どうやら、「戦争」「高度成長時代」の流れの中で、「豊かな生活」がキーワードとなり、仕事の効率、食の関わり、自由・・・時代と流れとが合わさっていった時にふと何が「幸せか」の思いが募り調査に基づいた執筆されていき、調査をされできた作品。また、実際に調査し作品になったののアンケートでの「真実」を知る事の難しさなどを対談で話しされていたものを眼にした。

中でも岩村さんが強く語られていたのは、「戦争」で、日本の「食」がこんなにも変わってしまったのは戦後の復興期を経て高度成長期により色々なものが産業化して行き、産業の側が市場開拓や事業の拡大を目指してきた。そのことが主婦に対して「やってあげますよ、やってあげますよ」と強力に引き込んだことで家事労働の外部化が一気に進んでしまったという流れの加速が原因であるのではなく、その時代を生きた人の「目的」が変わったのではないかと言っておられた。

作者は、効率化する時には目的があるわけで、例えばより良いものを食べるとかだが、ある時点から効率化すること自体が目的になってしまい、その結果、日本の「食」は「エサ」、「栄養補給材」になりつつあるとおっしゃっていた。また、単に昔からの流れが加速したということではなくて、すべてにおいて目的が見失われてきたというか、効率化自体が目的化して、何のための効率化かというビジョンが見えなくなった時代なんでしょうとのことだった。

極端な意見の様に思えたが、実際にサプリメントを飲んで健康に気をつけているという人も現代少なくないと思うし、目にブルーベリー、肝臓にオルニチン・・・。など通販のCMも毎日耳にしている。

本来、自分の田んぼや畑で作った新鮮で安全な旬の食材を摂取することで身体へ栄養素とパワーを補充してきたものが昔はほとんどが、路地物などで作っている人が分かる安心なものばかりであったと思う。それが、今は、当たり前でなく、無農薬、路地物などに付加価値を付けて販売するほどだ。

農業も経済成長の中で効率化を図り種の掛け合わせなどで天候に負けず強い作物を作り出した。それにより安定した価格の野菜が作れ、需要も共有も豊かになったように思える。一年中キュウリがお店に並び農家にも安定した収入が入る。しかし肝心の味はどうだろうか?在来の本来のものより味が水っぽいものであったりするが、それが必要とされ農業も在来種の植物や食材に人気がなくなり新しい掛け合わせた種へと変わって行っているのが現状であると思う。

<大量生産できる安定した白イボキュウリ>残念な事に長男Rは、こっちがすきだそうと「実はキュウリあんまり好きでなかった」と19歳にして告白され、ダブルショック!
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先日頂戴した高島のキュウリがまさにそう。スーパーのキュウリと比べると、実際に頂いたのもキュウリも形も悪く成長もまちまちだそうで売り物にならないそうだが、味はとびきり濃い味がして美味しい。

<局長に頂いた黒イボキュウリ>
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昔の製法でつくる当たり前だったキュウリは味も値段も付加価値のある商品となって珍重されていくのが不思議な流れだ。

日本以外に四季があり、旬を頂くという食文化を持った国はないと聞いた事がある。日本人は、狩猟民族ではなく農耕民族であり、一箇所に留まってその土地や環境に応じて全国の名産物を材料にし、各土地によって作り方や味、頂き方も違っている。

旬の食材は生命力もあり、生き生きした食材を口にすることで、食材の栄養と共に自然の恵みである要因(おひさま、水、空気)を全ての力も取り込んでいることにより、サプリメントいらずの身体。

丁寧に作られたものを以前は食べて育ってきた。その作り方をすると面倒だから?分からないから?なのか?そういった懐かしいであろう味をデパ地下やスーパーで取り扱いそれを買って食べる。またそれを豊かな優越感と感じている・・・。

家事労働の社会的な分業の事例によって、現代の主婦は、たいへんな家事労働から解放され、「豊かさ」を享受している。そうしたなかでは、家族の食事作りという仕事が、さまざまな産業に依存するようになったのも、当然のことと言えるだろう。それも、戦争のしかも「豊かさ」が行き渡った現代の日本では、家庭の主婦が家事労働を外部化し、自由時間を手にするというのは、経済全体にとっても、悪くない話であるが、一番大事なことが段々と薄れてきている事が気になるのだ。

外食がダメであるのではなく、何が安全で、家族にとって必要なサプリメントの摂取方法をいかに安心、安全にコストパフォーマンスも高く手がけられるかのコーディネートをしつつ、周りをマネジメントをしていかなくてはならないのは至難の業だ。

非常に綿密に情報を収集しコーディネートしていかないと「一家ごと」が一単位となってしまうのだから・・。

食だけの問題でなく全ての問題に連なるということを岩村さんはおっしゃっています。

「氷山の一角として、食事にもこのように見えているということであっていまの日本は戦後のしわ寄せを、それこそ全部凝縮した形で見せられている状態なんでしょう。単なる不景気とかではなく、あるいは若い人が変わったとかいうことでもなく、戦後のすべての集大成を見せられている。幼児虐待の問題にしろ、子供たちのさまざまな事件にしろ、そういう流れのなかできちんととらえる必要があって、その人たち個人個人の問題ではないだろうと思う。」と・・・・。

いじめ、虐待、食、親子関係、コミュニケーションの不具合による現代の様々な問題は全てがここに通じというのもどうかとおもうけれど、無関係ではないんだろうと思う。「食」人の身体をつくる源。やっぱり大事だし・・・。

片手間ではできない職業だとつくづく思う。「中国野菜は絶対に買いません。外食はします」自己満足の世界になりますが・・・。どこまで譲れるか?難しい~。

— posted by 奥井祐子 at 03:59 pm   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

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