京都人の無知と頑固さ

日付が変わった時間から大忙し。10月22日は火祭りの日と岩倉の火祭りがある。その日は、母のお誕生日でもある。

京都に67年間すみ続けている母。生粋の京都人。「あんた~ ● ● え~っ」という優しい口調と物腰柔らかな話し方が独特。

7年前に越して来た時に、主人が、「岩倉の火祭り」について母と私に聞いた。「岩倉の火祭りって何え~っ?」、「鞍馬の火祭りのことやろ~っ?」と母も私も同時に返答。「そんなん、岩倉の火祭りなんか聞いた事ないわ~っ!」と言い切る私達。

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↑朝の神事

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↑お旅所にて(2005年の岩倉火祭りの様子)

でも、よそ者(主人の事)は心清らか。何でも知らない事は、聞いて知ろうとするし体験してしまう。

「本間に京都人なん?」と言いたげな主人。

でも、京都人の言い訳を聞いて欲しい。京都は狭いようで、奥が深いのだ!

おなじ左京区でも私の育った地域は下鴨。しかもその中の一つの小さな町内のまたその一部のみは誰より、大好きで誰よりも良く知ってる「つもり・・」だった。

だから、よその地域は知らないし、左京区というくくりでは見ないのさっ!

左京区といってもとっても広い。

母の実家も左京区。私の生まれたのも左京区、育ったのも左京区、嫁ぎ家族で移ってきた先も左京区。

左京区は広い。

母の育った左京区は京都の鞍馬の奥の奥地の花背だ。お墓参りに行く際も今住んでいる所から岩倉からでも40分以上はかかる。

私の生まれたは、吉田にある。今出川通りと丸太町通りの間にある出町柳の駅より南に位置する。岩倉からは、車で15分ほどの所。

育った所は、糺の森のすぐそば。今出川通りよりも上、北大路通りよりも下の鴨川と高野川の合流地点より北に位置する。

出産も実家と同じ町内のゆで卵にそっくりな院長先生の病院。本当に先生もこの地も大好き。

現在の住まいは、岩倉。北山通りをまだ上へ、狐阪を上がりトンネルを抜けて、国際会館を超え、まっすぐ進む。市バスの終点の岩倉操作場を横手にまだ北へ。そこからは、岩倉実相院行きのバスしか通らない道。

ここに住み、車にチェーンが必要である意味を知った。冬の寒さが全く違う。

住む拠点が変わると必要となるものも、通勤時間も、見方も身に着けるものも変る。

当たり前なんだけど、こんな事がようやく分かってきた。

まずは、今住んでいる岩倉を知って好きになる事!変な固定観念は捨てよう!謙虚になると、物事を知る事ができ吸収も早くできる。

ここに住んで、昔のとんがった自分が恥ずかしく思い返すこともできる。

そう思えたのは、この地に住むことと、この地へ真摯な態度で臨む主人がいたから?ってことにしといたげるっ。

隣にいるよその者こそが今は、実家では一番の京都人。分からない京都の事は何でも聞けば教えてくれる。

— posted by 奥井祐子 at 11:54 am   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

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