ご近所のNさんより畑で採れ立てのお野菜を頂戴した。立派な大きさのものばかり。
作る前から、出来上がりを楽しみに♪ルン
薪でゆっくりやわらかく煮ている間に大根を頂くお味噌を作ることにした。一つの素材からドンドンとおいしいものつながりで広がっていくのがめんどくさいと感じないのが不思議。赤味噌が沢山あったのを思う出したのと、作りおきができ楽できるので・・・。
私の周り(家族・友達・知り合い)には、「食べることを楽しむ人」が集まっている。「おいしいもの」「食べる」なんてテーマにするときっと一日中話しでも話が尽きないと思う。また、そんな人たちが集まるとおいしいものも集いまた話題も広がるだろう。
この年になると、時期のもの(旬)、地場もの(特にこだわる方は自分で作ったもの)が頂けるのが一番贅沢なことと感じてきた。また、あれこれ手を加えたものでなく、素材のそのもののおいしさを活かした方法でいただくのも好きになってきた。
旬の地産のものを頂くとおいしいし、それを口にできる嬉しいと思う気分と連動し体内でも吸収もより良く吸収して体も喜んでいるように感じる。
先人の食していた方法や、食べ物は、「質素倹約」「貧しい」というイメージを持ちそうだが、そういう考えこそが「貧しい」と考えるようになった。「素材のうまみを良く引き出す食べ方をだれよりも知りそれを習い、伝承しないとだめ」だということも段々と分かってきたように思う。
三男が、東京に住んでる人が成功している人で、成功しても何故岩倉に住んでいる人のようなニュアンスのことを言っていた。ハッとした。びっくりした。まさか自分の子供がこんなことをいうとは・・。
何故そう思うのか?自分はどこに住んでどんな人になりたいのか?岩倉に住んでる人は皆成功していないのかなど聞いてみた。そう言ったので、三男の理想もそうなのかと思い質問をしてみたが、実際の自分はこうしたいという理想を聞きほっとした。自分は出来が良くないから岩倉にいるという自虐的な考えは辞めるようにいえたこと。京都では、一番便利な京都駅付近に住んでいる人が成功しているということだったので、じゃ、自分もそうできるように頑張るようにも言えてよかった。次男は、北白川今出川の佐藤医院の近く(銀閣寺辺り)に将来すみたいそうだ。それぞれ思いを聞いてみると面白かった。
百貨店など揃う都心。京都でも街中にすみたいと思う気持ち、樟葉のような大型量販店の揃うベットタウンがいい。伝統にふれたいのでお寺の近くがいいなど、人により便利と思えたり好んで留まりたいとおもえる所、そう思えない所もあるし、人の味覚と同じくそれぞれに思いや感じ方がちがうので、なにが一番と白黒で判断できるものではない。
目標、夢を明確して向かってける将来となるように我々大人のする仕事だと思った。生まれ育った京都(岩倉)で、幼い時から近くの幼馴染と田んぼや畑、岩倉川でどろだらけになって遊んだ事、友達とお祭り、地域の行事に触れて育ったことを大人になって思いだし、ここに住んでいたことをステータスに思えるように!また、自分のお気に入りの土地を見つけ、過ごすことができますように!
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