虐待フォーラム

午後より、二条駅近くの医師会館であった、虐待フォーラムに参加してきた。育児放棄のネグレストや、若くして出産した10代の親となった人たちが昔の10代は結婚をしても周りのおじいちゃんやおばあちゃんと共に生活をしていたので育児放棄などは少なかったという話。今の10代のケースは子供が先でその後結婚、また離婚のケースもある。お互いが良く知らないままに子供ができたはいいが、その後夫の暴力などが原因で・・。といった話があるそうだ。子供が生まれてくる前からの虐待の事例も。妊娠したことも分からぬまま、お腹だけが大きくなり、望んでいないからといって、出産後に殺してしまうケース。医師の立場からなど現場での実例を交えた話しが聞けた。また、保険未加入など、金銭的な問題で検診にも行かずにいる。10ヶ月間で、14回くらいの受診が望ましいとのことだった。出産後母子手帳もとりに行かずままのこどももいるとのことで、籍にも張っていない子供も行政の資料には上がってきていないこともこの日本の京都にもあるという現実。悲しい事例なども聞き今後の課題など、行政へ求めることなども話し合われた。

NONALNUM-6aGM44OV44Kp44O844Op44OgMQ-E

NONALNUM-5LqL5L6L-E

NONALNUM-gZfjgoXjgovjgYQ-E

— posted by 奥井祐子 at 08:01 pm   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

 

ちいさな流れが集まって、あんなに大きな海になる

京都市左京区で産声をあげ、同じ左京区に育ち、下神(下鴨神社W)の御手洗の冷たい水で足を清め、毎年無病息災を願い、糺の森を駆け回りながら、元気に大きく育ちました。そして、縁結びの相生社で願い事の結果、京都を離れ、樟葉へ嫁入り。そして、また、家族と一緒に左京区へ縁あって戻って来ました。

一度京都を外から見ると改めて「普通」「当たり前」だったことが以外に「すごいことだった」「伝統に育まれながら自分も育った」という事に気づきました。

大好きな京都で私の好きな場所と見所を紹介してい期待と思います。まずは、ここから・・・。

NONALNUM-5bed-E

ここは、高野川W賀茂川W(加茂川)が合流する地点。2つの川が合流し、鴨川(かもがわ)と名前が変るのです。

鴨川の源流というのは、河川法上での扱いと一般的(伝統的)に言われるものとは、少し違った言われ方をしています。

河川法における鴨川の起点は、京都市北区雲ケ畑の出合橋付近であるといわれています。祖父江川(北区雲ケ畑の桟敷ヶ岳東部の谷を源とする)と雲ヶ畑岩屋川(北区雲ヶ畑の桟敷ヶ岳南部の薬師峠を源とする)が雲ケ畑岩屋橋で合流し雲ケ畑川と呼ばれています。この雲ケ畑川は、中津川(雲ケ畑の魚谷山南部の谷を源とする)出合橋で合流し、賀茂川と呼ばれます。ここはまた、河川法上では、一級河川・「鴨川」の行政上の起点でもあります。

また、本流以外にも、貴船川W(京都市右京区の芹生峠を源とする)と、鞍馬川W(京都市左京区の花脊峠を源とする)二本の川は貴船口で合流し鞍馬川となり、山幸橋で賀茂川と合流し大きな流れとなる。川幅も、徐々に広がっていきます。

さて、もう一つの高野川(こちらも河川法上では一級河川)は、京都市左京区と滋賀県大津市の境付近の途中峠(南部)を水源とすると言われています。それらが、次第に市内に流れ込み、大原辺りでは、「大原川」八瀬流域では八瀬川というふうに呼ばれている。また、大原と鞍馬の境目にある天ヶ岳を源流の「高谷川」が小出石町で合流する。(京都バスの案内でちょこちょこ目にする「大原小出石」)この他にも、細い川が集まっていく。それらは、呂川(大原三千院の裏山を源とする)草生川(大原寂光院の裏山を源とする)が合わさり、そして、上高野の花園橋の辺りで、春には桜並木、夏の夜は蛍が楽しめる岩倉川が合流し、写真の出町柳駅周辺の加茂大橋で「賀茂川」と合流して再び名前が変わっているのです。。

「川」はそれぞれの流域によって呼び名も変化し、次第に大きな流れとなっています。。一箇所だけで綺麗にしようと思っても、川は流れて大きく繋がっています。川の流域に住む人各々の想いが整わなければなりません。

いつも川の話をする時は、「持越峠W」の話をなしにしては語れません。ここは、右京区の雲ヶ畑にある峠で、その昔、この周辺では、死者は、「穢れ」と考えられていたようで、死者の埋葬時に、雲ヶ畑の域内ではなく、死者を背中に担ぎ、峠を越えて隣村まで運んで埋葬が行われていたそうです。その昔とはいえ、現在も北区の林業に従事されている方が子どもの頃に実際に目にされたということなので、約70年前にも実際に行われていたことなのです。何故こういうことをしたかというと、この川の流れ行く先が御所に繋がるという話(京都盆地の話にもつながりますがこれはまた今度お話したいと思います)があり、昔から雲ヶ畑の人たちは、御所の上流にあたるため、水を穢さないように気を使って生活をしてきました。こういう思いって昔の人はわざわざ口に出して言わなくても「川を汚したらあかん!」常識のように当然であったように思います。自分の心がけで、考え方一つで「他の人が幸せに暮す事ができる」って素敵なことではありませんか?「何の特にもならない」と思った方、絶対に自分が(自分の祖先も含む)そういう目に合いますよぅ!「お天道様はいつでも上から見ておられる」といったことにも繋がるのではないでしょうか?

これって、良心の問題。人は、いくらでも安きに流れてしましがちです。でも、人は一人では生きていけません。これは、NHKSPヒューマン「何故人間になれたのか?」(全4回)~第一集・旅はアフリカからはじまった~http://www.nhk.or.jp/special/onair/120122.htmlLink

この中で、世界中の数箇所でお金を使った心理ゲームが行われた。ロンドンで行われた画像の中では、自分と見えない他の人がいるとして、外からも誰からも見えない密室にお金(日本円で8000円ほど)が置いてあったらさてどうするか?という実験。全てを相手に渡す。6と4に分けて自分が6もらう。8と2にわけ相手に2だけ渡す。半分ずつ分ける・・・など様々な人がいたようだが、面白い結果で、確か、全体の51%の人が相手にお金を残していくといった結果となったそうだ。

詳しい内容は、下記を参照くださればと思いますが、「人間特有の性質とは何か」 を明らかにする動物比較の研究現場等々ありその中で、チンパンジーと人間の違いは、相手と思いやる気持ちがあるかないかということがこの番組を通して分かった。人は、「笑顔」で人と繋がり、そして、協力して生きてきた。人は差さえあって生きています。「人」という漢字の成り立ちからもその通りだといえるのではないでしょうか?

http://www.nhk.or.jp/special/onair/120122.htmlLink

「ちいさな流れが集まって、あんなに大きな海になる~♪、あんなに青い海になる、僕達、私~、仲間達~っ、いまはまだまだ ちっちゃいけれどいつかは おおきな うみになる~、あおば あおばのこどもたち♪」これは、息子達が通った幼稚園の園歌。

http://www.k-aoba.ed.jp/enka.htmlLink

川も人も繋がって、そこの流域ごとの想いや歴史があっったうえで育って行きます。そして、一つに繋がっていく。大きく繋がって成長していきます。だれかを思いやって、大きくなっていって、その想いをずっと受け継いでいる・・・。

私が育った大好きな京都がずっとこのままこの景観で残ってくれたらいいなと思う景色。

NONALNUM-gYvjgoE-E

私の小さな時はこの亀はありませんでした。友達といっしょに石を並べて向こう岸まで渡ったりしました。どんな石が足場に最適であるか?大きくても安定力がない石は、こういう場合不向きだと言う事が分かったり。なんども川に足を滑らせながら石を並べて向こう岸までの道を作るのに必死になったのも思い出せます。やっと完成し、次の日に渡りに行こうと思った時に、母に「今日は川遊びは危ないよ。」言われ、行けなかったり。こっそり、遠くから川の様子を見に行ったり・・・。大人の助言と、日々の川の様子の変化を見て、今の川の様子は非常に危ない、川に入ってはいけない。今入ると流されるなどの判断を自分達でしていたように思います。その判断を誤って危ない目に合った時、「はっ」と気づき次からの行動への判断へ繋がります。色んな経験しながら学ぶ事が大事であり、今の子たちにとって重要であると考えています。

雨で水かさが増し自分達が並べて作った石の橋が水の下になり、雨が止んだ後には、どうなっているのかな?と気になり学校から帰ってすぐに見に行ったり・・・。跡形もなく、橋が全滅していたのを見て、がっかりしたり、それに負けないものを作るには?など知恵を絞ってみたり、自然の力の大きさを知ったり・・・。

こんな事は、学校の勉強で教わる事でもなく・・・。なんだかなぁ。これらをカバーするかのように、「ゆとり教育」といったものができたけれど、実際の学校へ通う子ども達は、少なくなった授業数のやりくりの追われる中で、返って忙しくなってきている。不思議な感じ。

今は、川には、常時亀が鎮座しています。わが子たちも、その川で遊びを楽しんでいました。亀を渡るにはバランスを取るのが難しかったという記憶。石を投げて遊ぶにもいい石を探すのが大変だったという記憶など・・。様々。高野川の色が昔は、ピンク色だったり、緑、黄色だったり・・けばけばしい色ではないが、色づいていた様子など今の景色には絶対にありえない光景。同じ川の思い出だけれど今と前では少し違っている。私が小さかった時の川の様子を話ししたりするとびっくりするわが子たち。昔といっても数十年間の話なのに・・・。大げさだけれど、その様子を語ることも歴史の中の一つの様子を語るってこと?机の上での学びと違った学び。観察力、想像し、創造する力。これって行きるための必須の学びなはずだと思う。

— posted by 奥井祐子 at 09:49 am   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

T: Y: ALL: Online:
Created in 0.0262 sec.
prev
2012.1
next
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31