おいもさん

おいもさんってすごい!主食になっているじゃがいも。お腹いっぱいになるし、ポテトチップスや料理など幅広く活用できるおいもさん。

私の育った小さい頃は、男爵かメークイーンくらいしか聞いた事なかったけれど、今は沢山の種類があり特徴的な名前のものなどで回っている。

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色々とあって、買って食べたりするけれど、やっぱり手頃で使く煮崩れしにくいメークイーンが好き。

今日は付け合せに。葉物が今少しお高い時期。がっつり食べ盛りにはこの付け合せがピッタリ!ニンニクで香りをつけたオリーブ油でこんがりと・・・。ソーセージの塩分とスパイスに香り付け&若返りハーブを少し入れて・・・・。

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— posted by 奥井祐子 at 10:52 pm   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

 

地域の特色を生かして

琵琶湖で異常水草発生http://www.kyoto-np.co.jp/info/education/natoku/091102.htmlLink

この「水草肥料」で豊作狙え!滋賀県と立命館大学が実験!http://www.kyoto-np.co.jp/shiga/article/20130109000014Link

水草肥料で栽培した野菜をブランド化して地産地消の拡大を目指すという事だが、滋賀の新しいブランドを立ち上げるまでもなく、滋賀には豊かな自然と名所が沢山あるのに・・・。

ぶつ切りされた情報をつなげて行けばそんなそのをブランド化して売り出すよりも自然で有効的であると思う・・。

同じ水草でも印象を変えて紹介してみると、

湖東は、米原市(醒ヶ井地区)「居醒の清水」が環境省が新たに定めた「平成の名水百選」に選ばれたことでも有名です。また昔の旧中山道の醒ヶ井宿でもあり街道の面影が残った趣のある町。

http://www.samegai.jp/Link

湖西は、高島市(針絵地区)2004年1月にNHKハイビジョンスペシャルで放映された映像詩『里山・命めぐる水辺』の舞台となった場所です。里山の写真家・今森光彦さんが紹介され場所。

http://www.takashima-kanko.jp/spot/shinasahi/458.htmlLink

いずれも、山からの雪解け水が豊富で水と地区の人たちの生活に密着した観光をアピールされている。その中で、水が美しいことの代名詞ともいえる水草がどちらの地区でも見え観光の名所としてもアピールされている。

「梅花藻」見た目も美しくかわいらしい水草。この藻を床に色々な魚の住みかとなりゆりかごとなり川や湖にも生物が宿りその恩恵により人も産物を食せ生計が立てられるという人と自然が協働で成り立っている素敵な場所。それから、「クレソン」も野生化している。

特に、醒ヶ井の道の駅のバイキングはその水で育った野菜が豊富にいただける。自然の恵みと山里湖の産物が頂ける身体にも優しいバイキング。子供にも食べさせたいし自分も食べたい。

一方で、身体に優しいかどうかは分からないが、魅力ある守山にあるバイキングもある。なんと噂によると数時間待ちだとか・・・。

確かに、美味しいバイキングであるし観光のスポットにもなり滋賀県にとってはいい経済効果なのかもしれないが、都市一点(店)集中型というか地域所得再分配平均化の方が望ましいような・・・格差?という言葉が合うかどうかわからないが私の田舎的な目線がおかしいのか?一部だけ取り上げていくのでなく、滋賀県全体を考え各地に実りが来るような取り組みがいいと思う。もっと脚光を浴びていい素敵な観光箇所ももっとあるはず。各地の頑張りもきっといつか息が耐えてしまわないか・・・いつまで梅花藻が見られるのか?

外来種の水草でなく、梅花藻の美しさをアピールするのではお金にもならず売れないんだろうか?

梅花藻の美しさを滋賀の名産で紹介する方が見た目に美しく私は良いと思うのだが・・・。

滋賀県の「ハリエ」でも「針江」でなく、「CLUB HARIE」が大きく取り上げられてる。美味しいからいいんだけど・・・。

持続可能な観光スポットのハリエであると地域も企業も潤っていいのかな?「CLUB HARIE」針江店、「CLUB HARIE醒ヶ井店・・・?

http://clubharie.jp/news/pastrybuffet/Link

— posted by 奥井祐子 at 04:39 pm   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

 

外注コーディネーター

新しい職のヒントを見つけました。

同じ「コーディネーター」という職でも、マネジメントは非常に難しく、情報を収集するのも一苦労だろうが、自分の身となり子供達の肉となり返って来る仕事でやりがいもあるだろう・・・。これなら家族にとっても喜ばれるだろうし「にわか主婦」の私の経験も多少なりとも活かされるだろうし・・・。

岩村暢子さんの興味深い題名の作品。*「変わる家族 変わる食卓」*「親の顔が見てみたい!」調査―家族を変えた昭和の生活史

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4326652780/studymirai-22Link

「変わる家族、変わる食卓」については、下記4つのことを主に語っておられている。1:浮かび上がった「60年生まれ」の断層、2:重みを増す企業の責任、3:「食卓」は戦後日本の縮図、4:「真実」を知ることの難しさ

それは、どうやら、「戦争」「高度成長時代」の流れの中で、「豊かな生活」がキーワードとなり、仕事の効率、食の関わり、自由・・・時代と流れとが合わさっていった時にふと何が「幸せか」の思いが募り調査に基づいた執筆されていき、調査をされできた作品。また、実際に調査し作品になったののアンケートでの「真実」を知る事の難しさなどを対談で話しされていたものを眼にした。

中でも岩村さんが強く語られていたのは、「戦争」で、日本の「食」がこんなにも変わってしまったのは戦後の復興期を経て高度成長期により色々なものが産業化して行き、産業の側が市場開拓や事業の拡大を目指してきた。そのことが主婦に対して「やってあげますよ、やってあげますよ」と強力に引き込んだことで家事労働の外部化が一気に進んでしまったという流れの加速が原因であるのではなく、その時代を生きた人の「目的」が変わったのではないかと言っておられた。

作者は、効率化する時には目的があるわけで、例えばより良いものを食べるとかだが、ある時点から効率化すること自体が目的になってしまい、その結果、日本の「食」は「エサ」、「栄養補給材」になりつつあるとおっしゃっていた。また、単に昔からの流れが加速したということではなくて、すべてにおいて目的が見失われてきたというか、効率化自体が目的化して、何のための効率化かというビジョンが見えなくなった時代なんでしょうとのことだった。

極端な意見の様に思えたが、実際にサプリメントを飲んで健康に気をつけているという人も現代少なくないと思うし、目にブルーベリー、肝臓にオルニチン・・・。など通販のCMも毎日耳にしている。

本来、自分の田んぼや畑で作った新鮮で安全な旬の食材を摂取することで身体へ栄養素とパワーを補充してきたものが昔はほとんどが、路地物などで作っている人が分かる安心なものばかりであったと思う。それが、今は、当たり前でなく、無農薬、路地物などに付加価値を付けて販売するほどだ。

農業も経済成長の中で効率化を図り種の掛け合わせなどで天候に負けず強い作物を作り出した。それにより安定した価格の野菜が作れ、需要も共有も豊かになったように思える。一年中キュウリがお店に並び農家にも安定した収入が入る。しかし肝心の味はどうだろうか?在来の本来のものより味が水っぽいものであったりするが、それが必要とされ農業も在来種の植物や食材に人気がなくなり新しい掛け合わせた種へと変わって行っているのが現状であると思う。

<大量生産できる安定した白イボキュウリ>残念な事に長男Rは、こっちがすきだそうと「実はキュウリあんまり好きでなかった」と19歳にして告白され、ダブルショック!
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先日頂戴した高島のキュウリがまさにそう。スーパーのキュウリと比べると、実際に頂いたのもキュウリも形も悪く成長もまちまちだそうで売り物にならないそうだが、味はとびきり濃い味がして美味しい。

<局長に頂いた黒イボキュウリ>
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昔の製法でつくる当たり前だったキュウリは味も値段も付加価値のある商品となって珍重されていくのが不思議な流れだ。

日本以外に四季があり、旬を頂くという食文化を持った国はないと聞いた事がある。日本人は、狩猟民族ではなく農耕民族であり、一箇所に留まってその土地や環境に応じて全国の名産物を材料にし、各土地によって作り方や味、頂き方も違っている。

旬の食材は生命力もあり、生き生きした食材を口にすることで、食材の栄養と共に自然の恵みである要因(おひさま、水、空気)を全ての力も取り込んでいることにより、サプリメントいらずの身体。

丁寧に作られたものを以前は食べて育ってきた。その作り方をすると面倒だから?分からないから?なのか?そういった懐かしいであろう味をデパ地下やスーパーで取り扱いそれを買って食べる。またそれを豊かな優越感と感じている・・・。

家事労働の社会的な分業の事例によって、現代の主婦は、たいへんな家事労働から解放され、「豊かさ」を享受している。そうしたなかでは、家族の食事作りという仕事が、さまざまな産業に依存するようになったのも、当然のことと言えるだろう。それも、戦争のしかも「豊かさ」が行き渡った現代の日本では、家庭の主婦が家事労働を外部化し、自由時間を手にするというのは、経済全体にとっても、悪くない話であるが、一番大事なことが段々と薄れてきている事が気になるのだ。

外食がダメであるのではなく、何が安全で、家族にとって必要なサプリメントの摂取方法をいかに安心、安全にコストパフォーマンスも高く手がけられるかのコーディネートをしつつ、周りをマネジメントをしていかなくてはならないのは至難の業だ。

非常に綿密に情報を収集しコーディネートしていかないと「一家ごと」が一単位となってしまうのだから・・。

食だけの問題でなく全ての問題に連なるということを岩村さんはおっしゃっています。

「氷山の一角として、食事にもこのように見えているということであっていまの日本は戦後のしわ寄せを、それこそ全部凝縮した形で見せられている状態なんでしょう。単なる不景気とかではなく、あるいは若い人が変わったとかいうことでもなく、戦後のすべての集大成を見せられている。幼児虐待の問題にしろ、子供たちのさまざまな事件にしろ、そういう流れのなかできちんととらえる必要があって、その人たち個人個人の問題ではないだろうと思う。」と・・・・。

いじめ、虐待、食、親子関係、コミュニケーションの不具合による現代の様々な問題は全てがここに通じというのもどうかとおもうけれど、無関係ではないんだろうと思う。「食」人の身体をつくる源。やっぱり大事だし・・・。

片手間ではできない職業だとつくづく思う。「中国野菜は絶対に買いません。外食はします」自己満足の世界になりますが・・・。どこまで譲れるか?難しい~。

— posted by 奥井祐子 at 03:59 pm   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

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