おいしい所は取らせてもらえない女性

龍谷大学の山田容先生の研修会に参加してきた。テーマは、「親子の孤立、支援者の孤立を防ぐために」。

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今の自分で悩みや思いがこの研修会のこの言葉ではっきりした。仕事には、評価や代償があり自分の頑張りも比較的目にしやすい。しかし、家事や育児は評価という次元のものでなく、「できて当たり前」という価値観。

専業主婦で、子育て家事、家のために身を注いできた時代の人々の中で暮らし、母も専業主婦であった家で育ち、「女とは、嫁とは・・こうあるべき」という中で暗黙の了解であるかのように育ってきました。

今、仕事と家事をしていく中で、自分の育った環境でない部分で他者からの意見やこうあるべき像を周りから言われ、それに向っていけば行くほど、潰れそうになりつつ爆発を繰り返しながら、その場その場の状況に応じて臨機応変に過ごしています。(現在進行形)(それが良かったか悪かったか別として・・・)

先生のお話の中で、印象的な言葉が2つありました。1つ目は、『母親との比較』

「結婚した当時、母親と同じように妻も育児と家事ができると思っていた。何十年も家事育児をこなしてきた自分の母親との比較でした」との言葉と、

2つ目は、『イクメンはマネジメントには関わらない』

「イクメンは、補助にとどまり、マネジメントには関らない」という説の言葉が非常に印象的でした。「手伝っているとはいいながらお風呂なんかも入れるだけ、イイトコ取りをしているんですよ」とのこと。

すかさず参加者の中で、若い男性が「手伝っても、場所が違うだのこの洗い方がダメだなんて言われると手伝いたくなくなる」という意見がありました。

また、「男は、上から言われるとだめなんですよ。頼まれると断れませんけどね・・、男ってバカなんですよ」という先生の回答。こんな状況の中ですぐに妻を優しい女神のような母親像に変換できる思考能力は男の人ならではとも言われていました(笑)

また、それを言い切れる先生の潔い所と、上手く立ち回れるその話術のすばらしさに脱帽。これからの時代を担う自分の息子達にも将来の妻となる人へ配慮できる言葉かけや話術を身に付けて欲しいと思いました。

『自分の子供には母としての顔でいられても、夫の母ではないのよ』という年配者のお言葉で失笑する場面もあったり・・・のセミナーでした。

以前テレビで見た「NHKスペシャル 女と男 第1回 惹かれあう二人 すれ違う二人」の中では、原始時代は、4年も経つと母親が子供に付きっきりでなくてもよくなるため、恋愛が続かないのではないかと考えられる。男は母子の元を離れ、次の子供を作るためにそこを去る。遺伝子の多様化のため?また、別の話しでは恋愛の賞味期間”はせいぜい3年ほど。これは実際の国連のデータでも、多くの国で離婚は結婚4年目にピークを迎えるとか・・・。3年目の浮気って歌もそういう背景から出来た歌なのかも・・?(それはさておき)

慎ましやかで、かわいらしい妻であり母であり女性として生涯いられるならば家庭も社会の平和であると私は頭では考えていますが・・・。では何がそうできなくなっているのか?経済的な事情?自我の主張?夫婦間の意思の疎通?なんだろう?全部かな?

1960年代のアメリカで起ったウーマンリブ運動。第一次・二次世界大戦の最中、若い男性は兵として戦場に行きった代わりに女性が国内の生産現場を担っていた。第二次世界大戦後、帰還兵が現場で働く為に、女性たちの職も一部が手放さないと行けなくなったそうだが、戦後の手不足で女性の積極的労働参加を促し、「女性も男性と同じ仕事ができる」と思いがこの女性の社会的自立の要因をなりウーマンリブ運動の気運となった。戦後、アメリカでの影響も受け、ウーマンリブ運動から50年以上たった日本。

男女共同参画社会として、基本法もできあがったこの世の中。http://www.gender.go.jp/about_danjo/law/kihon/9906kihonhou.htmlLink

女性であっても一人の人として働きたいと望む人にとっては、給料も男女雇用均等法などでは60年代に比べよくなってきているはずだが・・・。それでも現実は家事や育児は今も女性が大半を担っていく場合が多いという話し。枠は揃っていても中身は昔の考えとさほど変わっていない。

結局、私にとっては、「おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川で洗濯に・・・」の昔ながらのスタイルが私には合っているのだと思うし、それを私も美しいと思える夫婦像、家族像であるんだということで落ち着きたいし私以外にもそうなる社会を望んでいる人もいるのではないでしょうか。

それぞれの男女の持つ個性。男性的な感性、オカン目線など得意な所を伸ばすことができる仕事の仕方。女性でも男性的な感性や感覚を持っている人もいます。

マイノリティを尊重していけるスタイルもいいと思っています。

まだ子どもたちが手がかかる今、自分の家族を中心とした生活のスタイルを変えたくありません。まず、自分にとって何が一番なのか?ってことを優先しています。プラス家族の負担にならないような仕事のやり方が出来ればいいと思っているスタイルでいます。

主婦として、家に入り社会との関わりや社会的地位がなくなり正直喪失感に強いられることもありました。しかし、その社会は悲しいかな?仕事は私がいなくても回っていくんです💦

自ら退かない限り、私の肩書は、『主人の妻』『自分の子どもたちのおかん』であることは生涯変わらず付きまとってくることです。(表現はあまり良くないですが)

女の人が仕事を持ち仕事していく姿は素敵であるし、家庭ごとのルールを互いが理解しあっているのであれば主夫の家庭があってもそれは周りがとやかく言うことではないと思います。

ただ、自分を認めて欲しいが為に他の人を陥れたり、ただ単に男の人に負けたくないを言う一心で張り合って仕事をするスタイルには私は賛同できません。それは、その目標や到着点に真の幸福を私は感じないからです。

私は、男の人と対等に仕事しようとは思ってませんし、男と女の思考や生体的な能力の違いやでそれぞれの役割や特長を上手く活用していければと思っていました。

しかし、家事の仕事の比率を自分でバランスをとってできていたつもりだったのに・・・。それがだんだんと出来てなかったことに気づき、仕事を理由にして主人や子どもへそれを強要している自分に気づき自分に嫌気を指しています。

昨日のセミナーで当初の自分の思いを思い出せそれが分かり我が家にとって私が専業主婦に戻ることで平和が保たれ、上手く家庭をマネジメントしていく体制を見つけていきたいと確信できました。

負のスパイラルに陥る前に気づき良かった。

負のスパイラスは、入ろうと思って入るものではなく、アリジゴクのように知らず知らずの内に入り込んでおり、抜け出したいと思って気づくも、そこでもがくほど深みに入ってしまいます。

できるだけ心身をクリーンな状態に保ち、そうなる前に気づき処方していく姿勢が大事なのです。

<悲しい事件紹介>顔の上に座り込み2歳の長男殺害容疑、母親を逮捕。http://blogs.yahoo.co.jp/hiroko31102010/30091763.htmlLink

http://blog.livedoor.jp/news4gorilla/archives/6256856.htmlLink

この母親は子供を殺害し心無い母として取り上げられていますが、子供の発達について不安や悩みを心配し相談していた母親だったにもかかわらず、専門的立場の方の診断として、「特に子供には問題なし」で帰されていたそうです。色んな味方がある中で、民生委員、保育者が見張るという上下関係でなく、同じ目線に立って「寄り添える」という立場の人が必要。話易さ必要です。積極的に児童館に参加したり、地域の民生児童委員さんに相談してみようと思える人は陥ることも比較的少ないかと思います。切羽詰った人や困ったときに相談してみようかな?と思える気持ちになって、身近にある小学校の先生、児童館や、保育所、民生児童委員が本来その役割である場所であり人であるはずなのです。

地域の施設や支援などを上手く活用して、まずは信頼できる頼れる人をまずは見つけてください。

— posted by 奥井祐子 at 09:20 pm   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

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