脱線と考える力

スペインで起きた列車脱線事件。http://sankei.jp.msn.com/world/news/130726/erp13072617060005-n1.htmLink

色々な説があるが、仲間内で列車のスピードを競うような話もあったとか・・・。「どうしよう脱線するかも?」という話しをしていたということだが、そもそも人の命を預かっている運転手が言う言葉なのか?

小学校でも校長先生や、教育委員会の先生方とお話する機会があり、その都度、最近の子どもたちは、創造力の養う教育を必要とされているということだそうだ。「これをしたらお友達が傷つくので止めておこう」と予測を立てて行動することのできる子どもが少なく、昔では問題にもならなかったような細かい問題が学校内でも起きている所も少なくないそうだ。この先の予測を立てて、行動に移すことが最近の子どもの苦手とするのは、小学生だけではなく、中学、高校、社会人でも少なくないように思う。思ったことをすぐに口に出したり、言う前から手が出たり・・・。目上の人と友達との区別なく話しを進めたり、言葉の表現力が乏しかったり、表現の方法が分からなかったり・・・。人によっても違うようだが、育った環境や、家での教育なども大きく関っているように思う。

全てではないが、この脱線事件を起した運転手も遊びと仕事の境界の認識力が浅くなってしまっていたのか?運転手としての学科試験、運転技術はあったとしても心の中の未発達な部分までは就職の面接や試験だけではなかなか難しい所だと思う。なんだか・・・。

ご縁あって、日頃色んな学校や場所で話しをさせてもらう際、私が常に念頭においていることは、「今までの自分の考えの転換でこんなに楽しく思えることがあるんだ!やらなきゃ損!」だという風に思えるようになってくれたらいいなと思っている。決して押し付けはしないようにしていること。

もう一つ必ず大事に思っていることは、子どもだからと子ども扱いはしないこと。仕事でも、家でも子どもたちの意見、質問など発表での話しを聞くこと。子どもからの意見が新鮮で視点の違う意見でドキッとしたり発見や勉強になることも多い。京都市内の小学校も校長先生がガイドラインに沿って個々の学校や地域の特性を生かして授業をされている。各学校を訪問させて頂き色々と学ぶことも多い。

また、子どもたちがイギリスに留学して日本との教育の差の違いなどを知ったりすると色々考えることも多い。長男のカナダ人の担任の先生や、イギリス人の先生、イギリス在中の方、カリフォルニアの教育現場の方などともお話する中で一部しか触れてないけれどそれぞれに違った教育の方法があるのだと思った。日本に比べ、他国の教育は、プレゼン能力の訓練となるような授業を組み込んだ授業があるんだと知った。

外国の他民族国家と、日本人の他人を重んじる民族の国家では自分を主張する度合いが違うので一概には良し悪しと言い切れないが、世界出ていく中では、やはりそこは日本人も対等に意見が言える方がいいし、グローバル化ということを教育の中でも言われると教育自体も変わる方がいいのかとも思う。

「考えること」には、先ずは「人の意見も聞く」ことも大事。それはあたらな発見が多いから。自分の考えが及ばない所の話しが聞けることが魅力。人の意見を聞き、論議を交わすことも重要。「根拠を知る」ことで深く内容を理解できるから。その為には、人との「対話能力」が必要となる。対話する中で色々な意見が出て行動にも繋がる。多くの意見を引き出す為には、授業中も通り一辺倒なものでなく、時には脱線していく話も必要かと。

脱線授業や、話しの脱線を多く経験したものは、列車の脱線事故や、犯罪も起さなくても済んだ人もいたかもしれない。同じ脱線でも全く違う。

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最後に、この列車事故でなくなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

— posted by 奥井ゆうこ at 09:58 am   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

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