京都染色祭り

今日は3ヶ月に一回の異業種の研究会があり、京都織物卸商業組合(織商)の方をゲストスピーカーに織商についてや、産業会館の事などを教えて頂いた。

http://www.fashion-kyoto.or.jp/Link

その中で、産業会館の中に、卓球場があったり、また昭和8年に始まった織物卸業の皆が終結され始まった祭りである「京都染色祭」で着用使用された衣装、道具類合わせて1000点が眠っているとのことを知った。

当時の技術を使って、11の時代(江戸時代を前期・後期と分ける)の女性の装束を文献などから忠実に再現されたものを祇園の宮川町の花街の方々が行列に参加され祭りが行われたとそうだ。

http://www.fashion-kyoto.or.jp/orikyo/maturi/index00.htmLink

また、京都の三大祭でも有名な現代の葵祭り、時代祭りには、実は、戦前までは女性が参列する事はなかったそうだ。戦後に女性の装束を来て一緒にあるくようになったという。

ただ、今廃れてしまった原因としては、葵祭りは、欽明天皇の時代に雨が続き、作物が実らずに民が困っているのを見て、五穀豊穣のための祭礼を行ったたのちに、雨が止み、五穀豊穣となったとのことから、その後、最も重要な恒例祭祀をして国家的行事となり,いまも続いている。祇園祭は、869年に京の都をはじめ日本各地に疫病が流行したとき、平安京の広大な庭園であった神泉苑に、当時の国の数66ヶ国にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神を 祀り、さらに神輿を送って、災厄の除去を祈ったことにはじまりだといわれている。祭事をしての意味があり、今も祭事を守りながら、鉾の行列がある。

染色祭りは、卸業、小売業が別に絹の蚕の恵みなどを感謝の思いを祈願し、今宮神社や蚕ノ社などここに行っていたそうだが、8年に初めて皆が揃って、また新聞社なども揃っての催しとなったのだそうだ。

また、昭和59年に一度復活したそうだ。残念ながら、私の記憶にはあまり残っていない。その当時記録を本に残しておられるとのことだった。

京都染色文化協会が今もその衣装などを管理しているそうだ。

— posted by 奥井ゆうこ at 05:03 pm   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

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