18

「18」の数を聞くと、「青春」を連想される方多いのではないだろうか?

「青春18きっぷ」と言う言葉が頭に浮かんできた。これは、1982年3月に「青春のびのびきっぷ」として、日本国有鉄道旅客局が8000円で企画販売開始したそうだ。その後、1983年に「青春18きっぷ」と名称を改め、春季、夏季、冬季期間を利用機関として10000円で販売されるようになった。旅客鉄道会社線(現JR)の普通列車が一日乗り放題となるもので、新幹線、特急、急行列車を除くJR全線の列車に乗車することができるものだ。

さて、江戸時代には、今の様に新幹線などもなく、旅と言えば、もっぱら、「歩き」が主流であったそうだ。「かご」などもあったが、当時に民衆にはとても高価なものであり、なかなか普段使いできるしろものではなかったとのことだ。

昔は、歩きが主流であったため、周りの景色をみながら、ゆっくりと旅をする醍醐味のひとつであった。今は、京都から東京までは、のぞみで、2時間半でいける距離となった。昔は、歩きだったので、15日ほどかかったとのことだ。

『東海道中膝栗毛』は、亨和2年(1802)から出版され、作者の十返舎一九は、主人公である弥次郎兵衛(弥次さん)と北八(北さん)が、江戸の長屋を旅立ち、東海道を西に向かい、伊勢参宮するまでに、さまざまな滑稽を演じる物語を描いたもの。当時庶民の間でもお伊勢詣りがブームとなり、毎年多くの人が訪れていましたので、ちまたに普及し、ベストセラーとなった。文中には当時流行の狂歌が散りばめられてことが、人気の秘訣であったかもしれません。次々と続編が出され20年にわたり、西日本から中山道を帰るまで続きました。その後、全国にわたる道中記『金草鞋』等も書いている。

景色やその土地の茶店にある名物などを楽しみながら、昔のたびはゆっくりしたものであったと考えられる。また、清酒運18きっぷが生まれた時もまだ、今よりはゆっくりとした時代だったのかと思う。

青春18きっぷ(せいしゅんじゅうはちきっぷ)は、旅客鉄道会社線(JR線)の普通列車が一日乗り放題となる、期間限定の特別企画乗車券(トクトクきっぷ)である。本項では青春18きっぷの前身である青春18のびのびきっぷについても述べる。

日本国有鉄道旅客局が増収策の一環として企画し、1982年3月1日に「青春18のびのびきっぷ」として発売を開始。1983年春季発売分から現名称に改称した。主に学生などの春季・夏季・冬季休暇期間を利用期間として発売され、新幹線・特急・急行列車を除く旅客鉄道会社全線の列車に乗車することができる。主として学生向けの商品として企画されたが、利用者の年齢制限はなく、小児料金の設定もない。

「青春18きっぷ」の名称の由来については、当時旅客局長だった須田寛により青少年・学生をイメージした「青春」と、その象徴的な年齢で「末広がりの8」にも通じる「18」を組み合わせた、と後年に須田が説明している。

こんなのんびりした昔の学生のイメージにマッチした企画であったのだろうか、人気のあるきっぷとして今も存続している。今後もこれが続くのかどうか?学生にこのようなニーズは多くあるのか?を問うてみたい。

今の学生は少し急がしすぎる。まじめすぎるそんな気がする。それが悪い事ではないけれど、私の学生時を思い出すとこの年には、ハチャメチャな事をいっぱい経験してきたように思う。それが良いことではないけれど・・・。人間大きな視野で物事を見る場合、失敗をしてきたものの方が大胆に且つ慎重にできる所もあると思っている。

学術的にはすでに、本日18歳になる長男には劣って入るが、その分18歳をいかに楽しく過ごそうかと色々工夫し考え実行してきた当時の私の方のバイタリティは負けてなかったと思う。人生をいかに楽しく有意義に過ごすか?を勉強以外にも頭で考え、実行して欲しい。ビバ18歳!

— posted by 奥井祐子 at 01:26 pm   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

 

ささやかに・・

長男が、学校の宿題で旧約聖書について聞いてきた。賛美歌と旧約聖書の箇所の英文を読んで、日本文で解釈するというものであった。

主人の家は、浄土宗。だから、長男は、ここの家で生まれて知っている法事などはこのスタイルで行っているので、それと思っている。

仏教、神教、仏教、イスラム教、天理教、ヒンズー教、天理教など・・・。いろんな神様がおられ、日本以外にも、世界には多数の宗教が存在する。

たまたま私は、生まれたときから幼児洗礼を受けていて、18歳の時にそれを受け入れる覚悟?ができ、信仰告白というものをした。

私の見解と、長男の見解の相違は違っていた。世界史など学び自分の考えるキリスト教にはあまり良いという思いを持っていない長男。

仏教にも多数の宗派があるように、キリスト教にも多数の宗派があるし、その部分だけを捉えて良し悪しを決めるのでは幅が広がらないのではないかという話をした。

私の通っていた教会は、日本基督教団京都教会というところ。(富小路二条下ル)

キリスト教の中でも、プロテスタントの「組合派」に属する教会。学校でいうと、同志社がその精神を受け継いで教えとしている。プロテスタントの中でも、私の通っていた大学は、また違いメソジストの学校・・・。また高校は、同じキリスト教精神というくくりの学校であったが、「聖公会」というものであった。一言ではいえるものではないが、簡単に言うと、カトリックとプロテスタントとの中間のような教え。

さて、「洗礼・バプテスマ」というと皆さんは、どんな事を想像されるのでしょう?私の中でのイメージは、頭に水を垂らし神に誓うようなものだと信じて疑う余地もなかった。しかし、大学時にいろんな宗派の人を話しする中で、洗礼時の話しをしていると、どうもかみ合わないことがあり、よくよく聞くと、バプテスト派の人は、お風呂のような浴槽に所にどっぷり体全体が浸かるようなものが主流だということであったそうだ。(バプテストの中でも枝分かれして全て同じではあるとないが・・・)

また洗礼後には、プロテスタントは洗礼名を持たないが、カトリックや、聖公会の方には、例えば「アグネス」「デアトリス」・・・などの名前を持ってその名前で呼び合っておられるのも私には不思議であった。

私の家は、私で4代目のクリスチャンであったが、特別熱心に教会へ通う方でもなく、5月のイースター、12月のクリスマスくらいしか家族で礼拝に行く事がないような周りから見ると「にわか信者」であったと思う。

大学の同級生は、家が両親ともに牧師の家庭で住む家が教会あった人が多かった。そのお宅は、地元のお祭りがあっても決して行ってはいけないという家庭、またお祭りには参加せず見るだけは良いという家庭などがあり、我が家の考えとは程遠いものであったと思う。

しかし教会にはいってないが、父は寝る前に毎日必ず祖母・祖父の写真の前で手を合わしお水を換えてお祈りをして眠ることをしていた。それでいいと信じそれが無理なくできる我が家の信仰であった。それを勝手な解釈と批判する人もいたが・・。

しかし、大学時代は、そんな我が家の行動を、異端者であるなど、あるべき姿でない信者であったように強くいう人もいた。昔の宗教戦争ってきっと、こんな些細なことが火種となり、宗教戦争が起こってしまったのかな?とふとそのとき感じた。話をして分かり合える事と、突き詰めれば突き詰めるほど自分達の譲れない部分が強くなり並行線だった先がより広がってしまう場合もあるように感じる。

日本には、万物を神をする信仰が根付いている。石一つでも魂が宿りそれを拝み、土にも神が宿り、その田畑からの恵みを受けると、その土地の神へ感謝の気持ちを表しまたお供えし捧げる。日本各地にある村祭りはそんな気持ちから生まれたものだ。五穀豊穣祈願とその感謝を捧げるものでありまた、飢饉、疫病などが続き、神の怒りを静める為の祭り、葵祭り、祇園祭が京都にはそんなお祭りが存続している。

その土地に腰を据えその土地の人間となり、その土地、人に愛着をもつ気持ち、またそこで取れた産物を愛おしく思い感謝して頂く思い。それが日本古来の人間の心の奥底にある宗教であるのだと感じる。その上で、仏教、キリスト教、などを上手く融合し日本的感覚をもった宗教にアレンジされていてもおかしくなしそれを批判することも言ってはならない。だって、日本人として生まれてきたことが先にあるから。

こんな料理を食べて、こんな話題の会話が家族で出来るのも、日本だから・・・。

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我が家のお誕生日は、その人が生まれた日を感謝でき、家族揃って食事ができ皆で一緒にささやかなお祝いが出来る日の事

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— posted by 奥井祐子 at 10:57 am   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

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