男の子の節句。「元気にたくましく育つように」と言う思いではじまったのだろう・・・。昔は、出世を願って・・など言う思いもあったようだ。
今も昔も親が子を思う気持ちは変わってはいないと思う。でもそれに対しての思い入れや、その祝い方の違い方は地方によっても異なっているようだ。そもそも、江戸時代中期の裕福な庶民の家庭で始まった習慣だったそう。端午の節句には厄払いに菖蒲を用いることから、別名「菖蒲の節句」と聞いた事もある。
武家では菖蒲と「尚武」と結びつけて男児の立身出世・武運長久を祈る年中行事となり、 この日武士の家庭では、虫干しをかねて先祖伝来の鎧や兜を奥座敷に、玄関には旗指物(のぼり)を飾り、家長が子供達に訓示を垂れるしきたりだったようだ。だから、女の子のお祭りのお雛様を飾るように鎧やかぶと飾りを今でも床の間などに飾る風習が続いているのだろう・・。
江戸時代は、士農工商の社会であったが、商人は経済力はありながらも社会的には認めてられない世の中であったようで、武士に対抗して豪華な武具の模造品を作らせ、のぼりの代わりに黄表紙の挿絵などを見ると五色の吹流しを美々しく飾り、吹流しを飾るだけでなく、一部の家庭で「竜門」の故事にちなんで、吹流しに鯉の絵を描くようになったとか・・・。 現在の魚型のこいのぼりは、さらにそこから派生したものであるという説があるようだ。ただし、これは主に江戸を含む関東地方の風習で当時の関西(上方)には無い風習であった。天保9年(1838年)の『東都歳時記』には「出世の魚といへる諺により」鯉を幟(のぼり)に飾り付けるのは「東都の風俗なりといへり」と記されているようだ。
これも日本の文化伝統の一つであるが、我が家の留学生のカイルに説明するのが難しい。もっと調べてみないと・・・。
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