今日はあなご丼。
キラキラ宝石箱
2012/2/16
先日、三男の同級生でもあり、親子共々仲良くさせていただいているご近所の方がお引越しされた。でも近くなので寂しくない。その時に頂戴した宝石箱。キラキラおいしそう。
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逆チョコ
2012/2/15
14日は、子供の合唱コンで有休をとった。職場では、マガダナッツチョコをみなさんへと13日に置いて帰ってきた。
お世話になっている営業さんからと、隣の部署のIさんとNさんからといって席においてあった。
それから、今日は主人から。飲み会の帰りお迎えにいってあげたからかしら?
— posted by 奥井祐子 at 04:56 pm Comment [0] TrackBack [0]
友情と幸運の女神
2012/2/14
一年に一度の子ども達の合唱コンクール長男の中学一年生のときから、こども文化会館(エンゼルホール)を借りて行われるようになったそうです。
次男の最後の合唱コン。長男の時も涙なしでは見ていられないほど感動する。決して涙もろいほうではない私だが、音楽って本当に心の底からの感動があるから不思議だ。年中行事の中でもこの日だけは毎年休みをとってこの日に標準をあわせる!
今年は、次男が実行委員長としてプログラムにも挨拶文が載り、なんと、始めの挨拶をするとのことで何が何でも見に行かないといけなくなった。それを知ったのも、前日のこと。
もちろん次男だけでなく、三男にとっては初めての参加だったし、長男が2年の時に歌った曲を選択したので、それも楽しみにしていた。
夏の事、3者懇談で「ピアノ奥井君ありがとうございます」と先生がおっしゃりそこから私たち親子の合唱コンが始まった。
実は、全然ピアノが決まらずにいたので、それに耐え切れず次男が手を挙げたとのことだった。懇談時に、「ピアノ習った事もないので、無理です」と先生にお伝えしたが却下。本人も「やる。」と豪語していた。
幼い頃、長男と次男は同じ様にバイオリンを習わせていた。長男は、本人も好きだったようでたまに気分のいいときは今でも何度かバイオリンを出しては弾いたりするが、次男は弾けない。全く楽譜も読まない・・。
そんな次男がピアノを弾くということで、3Fにあったロフトから電子ピアノをリビングに下ろしてきてピアノの猛特訓が始まった。まずは、左手と右手に分けて。1ヶ月が過ぎて4小節やっと弾けるようになった。でも、これでは間に合わない。これが9月の終わりの頃。簡単な伴奏に書き換えろと私に言うが、やってみたものの、楽譜を読もうとしない次男にあれこれ文句は言うが、手は動かず。そのままの楽譜を覚えさすように予定を変え、また特訓。教え方が悪いということで喧嘩。私はいつの間にか弾けるようになり、次男代わり変装して参加しようかと考えたが、体系が違う為無理。その為にダイエットするのも不可能。切羽詰っているのに、次男は冗談ばかり口にする。そんなわけで、前からそろそろあかんというのもクラスに伝えていたようで、(要領だけは抜群)クラスの女の子が次男に代わり演奏を引き受けてくれた。K帆ちゃんありがとう!私にとっても幸運の女神だった。これが最優秀賞への切符だったように思う。さて、14日当日、このクラス、先生、観客席の親も一致団結する言葉があった。それは、実は、このクラスのもつ一人の実行委員の親友でもあるS田君がその日が受験日でその場に一緒に参加できなかったことに対しての言葉。この曲紹介の内容などは彼が考えていたそうでその紙を読み、次男が代弁させてもらった。
その後に、クラスのみんなの思いを一緒に代弁し次男が紙を見ずに伝えた。「今日この場に受験の為参加できなかった友の分まで一生懸命歌います・・・」と。始まる前の3-1のみんなの顔は普段のおちゃらけた顔とは違っていた。また、みんなの上にすごい力があったように思えた。
さて、今年は3学年で、全部で9クラス。その中からベストコンダクター賞、ベストピアニスト賞が1名ずつ選ばれ、そして優秀賞3組の中が先ず選ばれる。その3組の中から最優秀賞が選ばれるのだ。
今年のベストピアニスト賞は2名。2年生と3年生が選ばれた。また、ベストコンダクター賞は、次男のクラスの指揮者が選ばれた。合唱コンが終わってすぐに、私のところへ来て、「S君のお母さんに最優秀賞の連絡をしておいて」と言ってクラスのみんなの中へ消えていった。その友人も終わりまでに間に合いその会場に来ていたそうだ。
友情や思い出をこの学校で過ごし育んでいただけたことに感謝。
課題曲:「そのままの君で」 作詞/作曲 松井 孝夫http://www.youtube.com/watch?v=sv53PKL2VVA http://www.youtube.com/watch?v=KiNV_Vn00ZM 自由曲:「あなたへ」 作詞/作曲 筒井雅子http://www.youtube.com/watch?v=ehyzV-yYYXo http://www.youtube.com/watch?v=lGLvwl5wnyc
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お米がない ~その3~
2012/2/13
— posted by 奥井祐子 at 04:42 pm Comment [0] TrackBack [0]
本当は・・・。太陽のような存在。
2012/2/12
ほんとうは、お正月のおせちに入れようと思っていたけれど、今年はバタバタしていたのと、母がおじの所のおせちを届けてくれたので・・・。母のために・・・。母親って、太陽だと思う。いないと本当に家の中ががらんとしていて寂しい。いつも実家に行けばいてくれるのが当たり前なのでいない時の不快感と寂しさといえばなんともいえないものだった。きっと今回一番答えていたのは、父でもなく私だったんだと思う。
— posted by 奥井祐子 at 09:04 pm Comment [0] TrackBack [0]
母の強さ
2012/2/11
12月から動脈瘤で入院していた母。12月の手術は、頭蓋骨を切って、のどの部分も万が一の時の確保の為切ったが、母の血管の様子と、その動脈瘤の場所、ハートになった形など全ての悪いことが重なり、血管の補強の手術だけとなった。8時間もの大きな手術で、帰ってきた母の具合が良くなかったときには、この先真っ白になった。脳って本当に繊細で、ただ開けて蓋を閉めただけなのに・・・。と思った。手術の前にも検査入院といってカテーテルで造影剤などを入れてもあんなに検査したのに。まったく開けてみないとわからないなんて・・。今の医学の進歩では未だそんなこともわからないの?と素人の目で見ると思える。研究者にとってみればどのようにお考えであるかはわからないが・・・。
手術が予定通りできなかったこに驚嘆したが、また、次の手術に望むと決意した母。その日が2月7日だった。可能性としては、血管の具合も見てなんともいえない状態だったがチャレンジした母。
今回は部分麻酔、足の付け根の辺りからカテーテルで脳まで管を通しての作業。これにコイルを使って、動脈瘤へ血液が流れていかないようにするのと、ステントというもので、それが落ちないようにする手術だった。そのステントというのもここ数年のうちに開発されたとのことで、それが使えるようになったのも、今までの医学の進化があったかならのかと思う。
前回のように、意識が無いわけでもなく、しっかりして父と口げんかできるほどだったので安心した。仕事帰りにしばらく京大まで通うのも今回は、4日ほどで退院できた。
今中の妹は4人目の出産で、妹とその子が実家にいる。1月31日に誕生したが、母の入退院でお赤飯も炊いてい無かったので今日は小豆もたっぷりめに入れてお赤飯を炊いて持っていった。また、妹の家には、義父母が応援に来てくださって、上の3人の面倒を見てくださっているのだ。休みでもあったので、それぞれに差し入れを持っていくことにした。
明日は、カレーを持参して、お祝いに行く予定にしている。
— posted by 奥井祐子 at 03:36 pm Comment [0] TrackBack [0]
お米がない ~その2~
2012/2/10
お米がない・・。そんな、そんな時どんな風に皆さんは過されていますか?
お米は、1月に30キロがなくなるほどの我が家。母がお友達たちと三重の方からおいしいお米を配達してもらっているのをおすそ分けしてもらっている。今年は、それ以外にも、ご近所のNさんから、30キロ6本があるけどということで、半年程は岩倉産のお米を食べることができる。
いえばすぐにNさんのおうちのお米の専用の冷蔵庫から出してきて、おじいちゃんが精米してきてくださるのだけれど、精米も農協さんがお休みの時はすぐにもお願いできないのあるし、その2として、今日は小麦でもパンにした。
出町の柳月堂のパケットを買ってたらこトーストを作る。違うお店でその他にも、おいしそうなパンを見つけたので買って帰った。— posted by 奥井祐子 at 04:12 pm Comment [0] TrackBack [0]
京都でも、豊中でも、不変で普遍なこと。
2012/2/9
外は、いつもより一段と冷える日だった。今日は、メンバーのお子様の通う豊中の小学校まで行って来た。寒さに負けることなく心温まるとても感動の授業を見せてもらった。
行き道の電車の中で、どんな子ども達のきらきらの目が見れるのか楽しみに、大阪モノレール に揺られ景色を眺めた。
いつも見慣れた山や緑の風景とは全く異なり、モノレールの中からの風景は、高速道路が縦横に交差し走っている姿、インターの近くにはソフトクリーム の工場や他にも大きな工場も多かった。輸送などの利便性は抜群の場所だ。閉園した廃虚となったエキスランドが物悲しく残り、大阪空港方面へ進むと高層マンションの山々や、その合間の緑は、密集して生えている竹林、また、はげ山になった造成工事途中の竹林も見えたり、京都で生まれ育った私には、この大阪の街は本当にショックというか驚く光景だった。
「万博記念公園」前という駅では、多少の人が乗り降りされていたが、この何倍も何十倍も万博当時は大勢の人でア連れ低他のだろうと思った。数年前に訪れた、高度成長真っ只中の中国大連の姿とかぶり、大連の50年後をふと考えた。
さて、京都は景観条例があり、建物の高さ、建て方にもあれこれ指定があるし、外装の色の指定まであったりめんどくさい部分がある。その分他の所に比べると金銭的にも多少多くかかったりすることもある。規制のある事街を良いと思うか、悪いと思うか?
どちらが良いも悪いも話しする事ではないが、この規制のある京都に生まれてよかったと私は思っている。決して金銭的にも余裕のある方ではないし、家を建てる時にも風致地区の条例で本当にガレージの件、外装の色の件、あれこれ細かく言われ嫌だったけど、今思うとその時の思いだけで奇抜な突拍子もない外装にしなくてとよかった、隣近所の景観も綺麗に見えるしなかなか良いと思っている。
自分の土地で自分の家なんだから、「何をしてもいいでしょ」という考え。そうなんです。私も枚方から戻ってくる際はそんな想いになっていた。でも、家を建てるときに、それは違うという事を思い出した。京都の条例の言いなりになるんじゃなく、それの意味があり納得して住むという決意にもなった。
幼いときの思い出。隣のおばちゃんが私の家の所までホウキをかけてくれたこと、我が家もお返しに前の家のおうちの門掃きをしたり、それぞれの思いがある。それは、ただの「思いやり」の様によたえられるけれど実は、教訓だということを京都人は知っている。でも、隣のおばちゃんはいつもうちの家の前全部でなく、半分までしかしてくれていなかった。子どもの頃、この複雑な行動がわからず、父や母に隣のおばちゃんの嫌味な話しとして伝えたが、逆にそれは間違っているということを説教されたのだ。なんで?その時は全く京都人の気質を理解できていなかった。
おばちゃんの教えてくれてはることは、「あんたとこも綺麗に掃除しーやー」という合図だったんだということ。「いけずな感じ」に思えるけれど、これってとっても温かったな気持ちで教示してくれてはったのんだと諭された。
お隣近所の近況の変化もこんなことで、気づき、持ちつ持たれつ。いい距離感でのおつきあいだった。これが大人の世界であり、「照れくさい」と思わず、自然にできる人が大人と思っていたこと。大人になると自分もいつかそれが照れくさいと感じずできるのかと思っていたこと。
私の住んでいた町内、地域の方だけの想いではなく、京都の地に住む皆の心の中にもこんな想いが同じようにあったはずだ。
あえて口に出して言わずとも無言の共生、協調であり、それこそが「個性」を示す事であるという事を強く感じる。だからこそ、この京都で生まれてた子どもたちにも、この地で育って生活させることができ感謝し自己満足している。チンパンジーでなく人間として誕生し人として生きることを京都の地で学べてよかったといつかそう思う京都人になってほしい。
京都人の気質を主人には、なかなか口で言っても伝わらない部分があり、昔はよく喧嘩した。でも今は、それが段々と緩和してきている。口で言わずとも自ら良いと思い率先して行動している主人。「よし!よし!」きっと我が子たちもそう思う時がくるはず。そう思うのは、傲慢でも親のエゴでもない。
調和を持って、個性を尊重し、粋に過ごす京都人を私は強く目指したい。私は、身近な子ども達へ。そして、豊中に住む彼女はその周りの子ども達へ。想いを伝え広げる・・・。自分本位なチンパンジーの気持ちを持つ人が減り、人間らしい思いやりのある協調できる人が増えるように。街の風景は違えど、京都でも豊中でもこんな想いを後世に伝えたいと願っている親の気持ちは変らないことが分かった。
— posted by 奥井祐子 at 10:51 pm Comment [0] TrackBack [0]
お米がない ~その1~
お米がないっ! そんな時はどうやってその場乗り切るか ~その1~
お米から小麦に目を向けて見ることにした。小麦はパンばかりではなく、関西人の粉といえば、「粉もん」の代表は、これだ!
ちょうど山芋も冷蔵庫にあり、天かすなどのざいりょうもあったのでこれにした。
デザートには、チーズケーキ。
— posted by 奥井祐子 at 04:28 pm Comment [0] TrackBack [0]
京都絶景 ~下鴨神社~ 夏の思い出
2012/2/8
庭のように駆け回り遊んだ下鴨神社。
一番の思い出は、出店が沢山でる 通称:「足付け祭り」。みたらしまつりです。
小学生の夏休みのこと、お習字の日比野先生の所からの帰り道、自転車で落ちて流された川。雨が降って先生に折りたたみの傘を貸して頂き自転車で差しながら帰った。南へ下がって行った。泉川の東側の道。川沿いの細い道。当時はアスファルトから、でこぼこ道になる所があった。(ゆきえちゃんの家の前辺り)その段差でハンドルを取られてそのまま川へ落下。夕立の雨で水かさが増し、流れも急になっていた為、数メートル流された。普段の流れは、穏やかなのに、考えられない程。このとき、自然の力の恐ろしさを実体験したように思う。
ここの橋は、通学路でもあり、遊び場でもあった。
夏は、ザリガニ取り。ザリガニ釣りでなく、「ザリガニ取り」。よく紐の先にえさを付けて取る方法を聞くが、邪道だ。私達泉川町の子ども達は、駿敏に石をのけてさっと手でつかむ。これだ。
また、ゴム草履でバシャバシャと入って行ったり、わざわざ行き帰りこの橋を通らず横から降りて石を渡って行ったり・・・。普段は水の流れも優しい川だ。
小学校に通っていた間、この橋を車が通ろうとして、立往生していた事があった。そんな時も慌てず、皆川原へ降りて普段どおり石を渡って行った・・。
さて、この泉川は下鴨神社の東側を流れている。この橋を渡ると、葵祭りのメインストリートとなる。その先を西へ行くと、もう一度橋がある。
先ほどの橋の丁度2本分の幅だ。橋は立派ななのに、水が流れてない。不思議だった。(通称:水のない橋)現在は、水が流れ、「瀬見の川」という名前だそうだ。
この川の下はこんな感じ↓ (この川の南側東から見ている様子。)
今度は、この川を挟んで向かって右手が葵祭りのメインストリート(一段高くなっている)足つけ祭りの時は、ここに沢山の夜店がずらっと並ぶ。この道を上がって行くと、下鴨神社の境内が見えてくる。その手前の私の大好きな絶景ポイント↓
家から境内へ向かう途中、祖母や父といつも腰をかけて休憩する場所。写真の方は、東を向いて座っておられますが、西を向いて座るのがお勧め。さて、休憩後は境内へ。
入り口の右側(東側)に手を清める場所がある。子どもの頃は水筒なんか提げて遊んでいなかったので、夏場の喉の渇きはここの水を頂いていた。
門をくぐって、右手に足つけ祭りで有名なみたらし池がある。普段は、こんな感じ↓足付け当日は人で賑わう↓
入水料を払いろうそくを頂く。火を灯しながら最後まで消えないように無病息災を願い進む。
夏の土用の丑の日に、冷たい湧き水で足を清め、うなぎとみたらし団子を食べて夏を乗り切る。
お団子の先一つが離れているのがここのみたらしだんごの特徴。それは、みたらし池に湧き出す水の泡を形取っているからだとか・・・
— posted by 奥井祐子 at 03:28 pm Comment [3] TrackBack [0]
自然エネルギー環境授業
2012/2/7
伏見区の小学校にてKESC自然エネルギー環境学習チーム(通称:風チーム)の方々の授業があった。
事前打ち合わせ、備品の事前の搬入も昨日までに済ませ、今日は朝9時から現地でリハーサル開始。
今回新メンバーが2企業はいり、2名が新しく入って下さり、LPなども少し手直ししての授業だった。新しいキャラも誕生した。
LED照明子(エルイーディしょうめいこちゃん)電気自動車と風車
人力発電(手回し発電・洛陽工業高校の生徒さん作品)
最後にメンバーのみなさんと生徒の皆さんで声に出して・・・
— posted by 奥井祐子 at 05:02 pm Comment [0] TrackBack [0]
Radish gratin
2012/2/6
次男のお友達のお母さんから紹介してもらった料理。大根のグラタン。
ベシャメルを作らなくて、バターで大根を炒める時に、小麦粉とミルクを入れて簡単に。
白味噌を隠し味に入れてみた。
オーブンで焼くと・・・。
私達には、良いけど、息子達には少し物足りないかとマカロニを加えた。和風であっさり。沢山食べてもヘルシーな感じでおいしかった。育ち盛りの子ども達には、きっと、ベーコン増量や、かしわなど入れるとボリューミー!!
— posted by 奥井祐子 at 04:55 pm Comment [0] TrackBack [0]
新風館探せず・・・
2012/2/5
「新風館」には、何度か言った事ことがあるので、調べる必要も無いと思い、烏丸御池で下車。迷うはずないはずなのに・・・。でも、迷った。
工事で建物にカバーがかかっていたこと、出口ベストな所から出ているのに、南へ歩き、鼓月まで行って半泣きで電話した。
烏丸御池の1本南とは・・・。トホホ・・。皆さんお待たせしてごめんなさい。
早速会食。幹事さんいつも色々と調整下さりありがとう。普段あまり会議にも出れずお任せしっ放しで申し訳なく思っています。行事の時しかお話できないので、こういう機会を設けて頂けると嬉しいのです。おいしい食事と楽しいお話ができてよかった。。
大根4種の食べ比べ・・・。大ビンゴ大会での賞品が当たりました。アンちゃん手づくりのケーキが賞品(プロの腕前)いつもありがとうね!せっかくなのでみなさんと一緒にその場でいただくことに・・・。おいしかった。ご馳走様でした。
— posted by 奥井祐子 at 09:33 am Comment [0] TrackBack [0]
心から・・・
2012/2/4
高校の時からの友人。
しょっちゅう会っているわけでもないけど、なんかあるたびに連絡したり、会いたくなったり・・・。話題も自然に溢れてくるもの・・・。
先日ひじきを炊いたので近くまで行く用事があったので、「いる?」と聞くと「いる!」と返事があったので持って行った。
お昼休みに沢山話した。そして分かれた。「これ、いらんしあげる!」と言って手渡された。
夜に電話があり、母の名前を教えてほしいとのことだった。
神社へきているとのことで、週明けより再入院して再手術を受ける母の祈祷をしてくれるとのことだった。突然の優しさと心遣いのサプライズに驚いた。「いつもおばちゃんにはお世話になってるもん!」と言ってくれ、護摩木に書いて祈祷してくれるなんて・・。込みあがる思いでいっぱいになった。
心から・・・、本当にありがとう。
— posted by 奥井祐子 at 09:54 am Comment [0] TrackBack [0]
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