賀茂別雷神社(上賀茂神社)田中宮司様より日本人の自然観と伝承というとても興味深いお話を伺うことができました。
まず式年遷宮についての意味。奈良の東大寺のように130年以上も木の建物は長く使えるというのに、まだ新しく使えるものをわざわざ建てなおす深い理由。平成二十七年に平安時代より数えて第四十二回目の式年遷宮を迎える上賀茂神社でのお話。
ご神体は、上賀茂神社の本殿より3キロ程北にある神山にあるそう。ご神体を拝める方向にご本殿があり、平地でも誰もが拝めるようになっているそうです。
お話は続き、どんどんと深く興味ある内容へと引き込まれていきました。
我々日本人の生活の基本を為す「敬神崇祖」(神様を敬い祖先を崇める)の生き方と「神社を修理して祭りを大切にすること」神は敬う事によって霊験があらたかになる」神社を修理してお祭りを厳粛に行う事が大切であるそう。鎌倉時代の『御成敗式目』の第一条にも記されそれ以後守られている所だそう。また、供物は絶やさず昔からの祭りや風習もおろそかにしてはならない)という戒めも大事にしないといけません。
全ての神様を敬いご供養を怠っていたせいかはともかく、その頃は国中が天災に見舞われ、庶民が非常に貧窮していたので、欽明天皇が卜部伊吉若日子に天災の原因を占わせたところ、賀茂大神の祟りであることがわかりました。そこで、4月吉日を選び馬に鈴をかけ、人は猪頭をつけて盛大に祭りを行いました。 その結果、五穀は実り、天下泰平になった(「賀茂縁起」より)。雷の神の御祖父様とご母堂様を祭られた神社にも祭りごとを忘れてはならないということでもあるのではないかというお話。
また、松尾芭蕉の残した言葉の「不易流行」という、やり方・方法は時代と共に変われども、物事の本筋・根本は絶対に変えてはならないという考え方を述べてくださいました。なかなか、直々にお話を伺うことが出来ない宮司様のお言葉には心に残るものでした。
何十年に一度式年遷宮を迎えることで、それまでヒノキを植樹し守り育った事を先ずは感謝し、そのものを大事に使わせていただくことにも大事に思う心が養う。そして、その木々を使って建てられる宮大工さんの伝承の技がないと出来上がらないこと。100年以上達次にそれが壊れた時に、修理できる人が育っていなければ、モノとしても心としても伝承の心が繋がらなくなるということが印象的でした。
伊勢神宮での役目を終えた木々は、また削られ新しい柱になりそして新しい神社に受け継がれる。受け継がれた先の神社は感謝と崇敬する思いで大切に使う気持ちが芽生える。新たな思いで霊験があらわになるそのものが繰り返されムダにもならずエコな循環がうまれてくるということをお話下さいました。
日本人は、八百万の神、石ころ一つにも魂が宿るという考え方。古来の日本人は、山神様が宿りそこを白装束の姿でその神を拝むために山に登る。
60年前の1953年に故エドマンド・ヒラリーさんらが世界最高峰のエベレストに初登頂された際、新聞などに「エベレスト制覇!」という言葉や、文字があった時に、世界の人の自然への念と日本人が山や自然を見る自然観の違いを田中宮司様がお話しくださいました。「教えでなく、道なのです」ということが大変心に残るお言葉でした。
Comments