冤罪事件のなぞ

上二人の兄達懇談では、「今の調子で頑張ってください」と言われ、特に問題もなく5分以内に終る程だったので、頭を下げることも、苦痛なんか全く感じた事がなかった。

しかし三男P君は小学校の時の懇談はそうはいかなかった。エンドレスを見越していつも最後か懇談期間外に設定される。あれこれと思いもかけない事でご指導を受ける。締めくくりの言葉は、「おうちの方でもしっかりご指導ください」で釈放。予期せぬ電話と呼び出しや家庭訪問。三男の懇談は私にとって苦痛以外何もなかった。

悪い連鎖となって魔のスパイラルに陥ってしまいそうだった。子どものいじめ、虐待、子どもの非行の問題。それもきっとそれに繋がってくると思った。冤罪者気持ちとその家族とそこに渦巻く悪循環を断ち切らない限り・・・。

色々な所からの苦情やご迷惑をかけた方々のお宅へ謝罪に出かける中で気づいたこともある。「なんで?私の子がそんなことするんだろう・・・」「そんな風に育てたことなかったのに」と自分を責めたり、子どもにきつい口調で問いただしたり・・・。学校からの連絡があるとそんな悔しく腹立たしい思いを持って、菓子折りをまずは買いに行く。

最初は三男が悪い決め付け、菓子折りを持って三男を連れて平謝りに誤りに行き、その旨を担任の先生へ連絡した。この行動アホらしと段々思えてきた。

「子どもは兄弟比べては評価してはいけない」と言われるけれど、親ならそりゃするでしょ。普通比較するのが当たり前。兄弟を冷静に比較して自分に問いただすことに繋がるんだもの。その後色々と考えて子育てに役立たせればいいんだもの。そそして、色々と分かってくることがある。

兄弟それぞれ個性があり、同じ人格でないんだもの。個性を発揮しやすいか?発揮しすぎか?しなさすぎか?出来るのかできないか?色々と兄弟それぞれを分析しればいいのだ。そうしたら各々の長所と短所が分かる。一回言っただけで言い聞かせて子どもっていうこと聞く訳がない!それが分かった。

三男のおかげで分かったこと。子どもを問いただす前に自分の子を信じることが怠っていた事が分かった。子どもの話しを理解しようと耳を傾けることを私はしていなかった。子どもを守るには、状況を把握し、冷静に判断する力をつけないといけない。その力がなかった為に物事をうやむやにして真実を追求していなかったということが分かった。

手の焼ける要領の悪い子は、説明もうまくつかず、中立の立場の方や親からも口を揃えて、「そうやったんか?」と緊迫した雰囲気の中、取調べのように問いただされると、ちょっと違ってもおおよその登場人物や、一部確実なことがあれば、「そう」と言わせてしまっていたのだ。親である私が子どもの冤罪事件の引き金をひいてしまっていたのだった。

容疑者は、緊迫した嫌なムードの中、その場からいち早く逃れたい一心で、全部本当でなくても、またはやってなくてもやったような気になってしまい、「はい、やりました」と言ってしまう。冤罪事件として処理されていた事がほとんどだった。

容疑者は、その後、心落ち着きよく考えると「本当は・・・」と話し出し、よくよく聞いて見ると、「悪くないやん!」という話しがほとんどで、後の祭りとなることも多々あった。頭の回転の速い子や取り繕うことの上手な子や大人に取り入るのが上手な子。気をつけないといけない。日常遊び感覚でこん行っているといじめている意識もなく、自分の機嫌でゲームのように人を次々替えていく手法は、無差別な計画的犯行となるのではないだろうか?

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— posted by 奥井祐子 at 04:06 pm   commentComment [0]  pingTrackBack [0]

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