長男が、学校の宿題で旧約聖書について聞いてきた。賛美歌と旧約聖書の箇所の英文を読んで、日本文で解釈するというものであった。
主人の家は、浄土宗。だから、長男は、ここの家で生まれて知っている法事などはこのスタイルで行っているので、それと思っている。
仏教、神教、仏教、イスラム教、天理教、ヒンズー教、天理教など・・・。いろんな神様がおられ、日本以外にも、世界には多数の宗教が存在する。
たまたま私は、生まれたときから幼児洗礼を受けていて、18歳の時にそれを受け入れる覚悟?ができ、信仰告白というものをした。
私の見解と、長男の見解の相違は違っていた。世界史など学び自分の考えるキリスト教にはあまり良いという思いを持っていない長男。
仏教にも多数の宗派があるように、キリスト教にも多数の宗派があるし、その部分だけを捉えて良し悪しを決めるのでは幅が広がらないのではないかという話をした。
私の通っていた教会は、日本基督教団京都教会というところ。(富小路二条下ル)
キリスト教の中でも、プロテスタントの「組合派」に属する教会。学校でいうと、同志社がその精神を受け継いで教えとしている。プロテスタントの中でも、私の通っていた大学は、また違いメソジストの学校・・・。また高校は、同じキリスト教精神というくくりの学校であったが、「聖公会」というものであった。一言ではいえるものではないが、簡単に言うと、カトリックとプロテスタントとの中間のような教え。
さて、「洗礼・バプテスマ」というと皆さんは、どんな事を想像されるのでしょう?私の中でのイメージは、頭に水を垂らし神に誓うようなものだと信じて疑う余地もなかった。しかし、大学時にいろんな宗派の人を話しする中で、洗礼時の話しをしていると、どうもかみ合わないことがあり、よくよく聞くと、バプテスト派の人は、お風呂のような浴槽に所にどっぷり体全体が浸かるようなものが主流だということであったそうだ。(バプテストの中でも枝分かれして全て同じではあるとないが・・・)
また洗礼後には、プロテスタントは洗礼名を持たないが、カトリックや、聖公会の方には、例えば「アグネス」「デアトリス」・・・などの名前を持ってその名前で呼び合っておられるのも私には不思議であった。
私の家は、私で4代目のクリスチャンであったが、特別熱心に教会へ通う方でもなく、5月のイースター、12月のクリスマスくらいしか家族で礼拝に行く事がないような周りから見ると「にわか信者」であったと思う。
大学の同級生は、家が両親ともに牧師の家庭で住む家が教会あった人が多かった。そのお宅は、地元のお祭りがあっても決して行ってはいけないという家庭、またお祭りには参加せず見るだけは良いという家庭などがあり、我が家の考えとは程遠いものであったと思う。
しかし教会にはいってないが、父は寝る前に毎日必ず祖母・祖父の写真の前で手を合わしお水を換えてお祈りをして眠ることをしていた。それでいいと信じそれが無理なくできる我が家の信仰であった。それを勝手な解釈と批判する人もいたが・・。
しかし、大学時代は、そんな我が家の行動を、異端者であるなど、あるべき姿でない信者であったように強くいう人もいた。昔の宗教戦争ってきっと、こんな些細なことが火種となり、宗教戦争が起こってしまったのかな?とふとそのとき感じた。話をして分かり合える事と、突き詰めれば突き詰めるほど自分達の譲れない部分が強くなり並行線だった先がより広がってしまう場合もあるように感じる。
日本には、万物を神をする信仰が根付いている。石一つでも魂が宿りそれを拝み、土にも神が宿り、その田畑からの恵みを受けると、その土地の神へ感謝の気持ちを表しまたお供えし捧げる。日本各地にある村祭りはそんな気持ちから生まれたものだ。五穀豊穣祈願とその感謝を捧げるものでありまた、飢饉、疫病などが続き、神の怒りを静める為の祭り、葵祭り、祇園祭が京都にはそんなお祭りが存続している。
その土地に腰を据えその土地の人間となり、その土地、人に愛着をもつ気持ち、またそこで取れた産物を愛おしく思い感謝して頂く思い。それが日本古来の人間の心の奥底にある宗教であるのだと感じる。その上で、仏教、キリスト教、などを上手く融合し日本的感覚をもった宗教にアレンジされていてもおかしくなしそれを批判することも言ってはならない。だって、日本人として生まれてきたことが先にあるから。
こんな料理を食べて、こんな話題の会話が家族で出来るのも、日本だから・・・。
我が家のお誕生日は、その人が生まれた日を感謝でき、家族揃って食事ができ皆で一緒にささやかなお祝いが出来る日の事
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